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円窓亭

中世~近世に春日社に談義屋があり、本談義屋とそれから遅れて周囲に建った同類の屋を、まとめて五ケ屋と称した。談義とは仏語で仏教の法義や宗旨について説き明かすことである。談義屋が確認されるのは13世紀後半に描かれた根津美術館蔵「春日曼荼羅」が古く、また14世紀のMOA美術館蔵の「春日曼荼羅」でも確認出来る。
五ケ屋のうちの1つ西屋に現円窓亭(重要文化財)があったと思われる。位置としては内侍道(内侍門に繋がっている道で、万葉植物園の中を走っている)のそばにあった。それは「宝永5年の興福寺伽藍春日社境内絵」(写真①)明治27年の「銅版画」(写真②)により確認することが出来き、経典を納める経蔵であった。
神仏分離令により、危うい時期もあったが、明治27年に興福寺より奈良公園に寄付されて、浅茅が原への移転が県より通知されている。いつ窓が丸くなったのかは定かでないが、明治8年の境内見取り図では丸いのが確認出来る。2020年に万葉植物園に移転の予定で120年ぶりに里帰りする。
建築物としても立派であり(写真③)、柱、肘木、桁、化粧垂木などに細かく面取りされていて(写真④)、透かし彫りの蟇股(鎌倉様式 写真⑤)が施されている。
配布されたレジュメです。円窓亭レジュメ

写真①

写真②

写真③

写真④

写真⑤